陸上のハードルで活躍する豊田兼選手。
端正な顔立ちで俳優の岡田将生さんにそっくり!ということでも注目が集まっています。
豊田兼選手がどのような経歴の持ち主なのか、気になる方も多いのではないでしょうか。
今回は、
豊田兼のwiki経歴プロフィール
桐朋中高の陸上部で活躍!
大学は慶應に進みパリ五輪を目指す!
についてまとめました。
最後までぜひご覧ください。
豊田兼のwiki経歴プロフィール
まずは、豊田兼選手のプロフィールをまとめました。
名前:豊田 兼(とよだ けん)
生年月日:2002年10月15日
年齢:21歳(2024年7月現在)
出身地:東京都
身長:195cm
出身中学校:桐朋中学校
出身高校:桐朋高校
大学:慶應義塾大学 環境情報学部
桐朋中高の陸上部で活躍!
豊田兼選手の中高時代についてご紹介します。
中学時代は四種競技の選手だった
豊田兼選手は小学生の頃にクラブチームで陸上を始め、中学校に入学してからも部活で陸上を続けます。
中学では四種競技をしていましたが、全国大会出場などの機会はありませんでした。
四種競技とは?
- 400m競走
- 110mハードル
- 走高跳び
- 砲丸投げ
上記4種の競技を行い、合計得点で競う陸上競技のこと。
この中でも特に400m競走と110mハードルが得意だったこともあり、高校では400mハードルに挑戦することを決めます。
高校時代にハードルへ転向
高校生になると、得意だったハードルへ転向。
高校2年生の時に出場したインターハイ都大会では、110mハードルで2位(記録は14秒85)。
400mハードルでは優勝(記録は52秒85)を飾ります。
高校3年生で出た全国高校大会では、110mハードル4位。
400mハードルでは5位という結果を残し、2種目入賞を果たしました。
195cmの長身と長い手足で、スケールの大きい走りから「とんでもない選手がいる」と話題になっていたそうです。
恵まれた体格を持っていて、生まれ持った才能ももちろんあると思うのですが、かなりの努力家でもあるようです。
高校の恩師は、“吐くほど追い込んで練習をしていた”ことを明かしています。
大学は慶應に進みパリ五輪を目指す!
陸上と勉強を両立したいという気持ちが強く、先輩たちの話を聞く中で「慶應が自分に合っているのでは」と考え、進学を決めます。
20歳で大学生世界一に輝く
高校時代も結果を残してきた豊田兼選手ですが、その実力は大学に進み一気に開花。
2022年、大学2年生で出場した日本インカレは、400mハードルで2位・400mでは3位という結果を残しています。
その翌年、2023年8月(大学3年生)、ワールドユニバーシティゲームズで優勝。
種目は110mハードルで、13秒29(日本歴代6位)という好成績を残し、大学生世界一に輝きました。
五輪や世界選手権などの世界大会で、日本人が110mハードルの金メダルを獲得するのは史上初の快挙。
そしてその翌月には、日本インカレの400mハードルで、48秒91で同着優勝を果たし、学生日本一にもなっています。
大学生になってからの活躍が特に目覚しいですね。
これまでのひたむきな努力が、実を結んだと言っても過言ではないでしょう。
110mハードルと400mハードルの両立は極めて困難
豊田兼選手は110mハードルと400mハードルを両立していますが、これは容易なことではないそうです。
種目を絞った方が効率的に練習ができるので、1種目に絞る選手が多い中、豊田兼選手は2種にこだわっています。
「同じハードルでもそれぞれ特徴が違うので、純粋にやっていて楽しいです。それに2種目やっていると、1種目がうまくいかない時、もう一つの種目にフォーカスしてみたら、うまくいっていない方をいったん忘れられて、相乗効果で良くなることもあります。両方の種目を良いバランスで成長できると感じています」
https://4years.asahi.com/article/15179680
豊田兼選手は自身の強みとして、”ぱっと切り替えられる調整力”を挙げています。
精神的な強さも、豊田兼選手の強みと言えそうですね。
主将として陸上部を牽引
慶應義塾体育会競走部の107代目主将を務めている豊田兼選手。
主将として”競技でしっかり結果を残し、背中で引っ張る姿を見せなければと思っている“と語っていて、部員からの人望も厚いのでしょう。
チームスローガンは「すゝめ~We Over Me~」。
この”すゝめ”には次の2つの意味が込められているそうです。
一つは、一人ひとりが自分の競技を前に進めていこうというもの。もう一つは、競走部や競技を通じて培った何かを本当に人に勧められるかを意識すること。
https://4years.asahi.com/article/15179680
副題の『We Over Me』は”チームは個人に勝る”という意味で、一人では成しえないこともチームなら到達できるという思いが込められています。
慶應在学中にパリ五輪出場という大きな目標を達成し、部としてもかなり盛り上がっているのではないでしょうか。
豊田兼選手は”背中で引っ張る姿”を見せたいと語っていましたが、有言実行する主将は部員の誇りであるに違いありません。
まとめ
豊田兼選手のwiki経歴プロフィールをまとめました。
中高は都内屈指の進学校に通い、陸上では学生のオリンピックで金メダルを獲得するなど、文武両道に優れています。
また、吐くほどストイックに練習に打ち込むなど、かなりの努力家のようです。
大学では主将を務めていることから、人望が厚いということも言えそうです。
パリ五輪後も、たくさんの活躍を見せてほしいですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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